1 卒論制作日記を書いてみる

8.24(水)

 

本格的に卒論を書かねばならないが、どうしてもやる気が出ない……。

 

……せや!日記書いたろ!

 

我が身にEngineを宿さねば

ということで、卒論へのモチベのキープのために、はてなで”卒論制作日記”なるものを書いてみることにする。

 

筆者は、2000年生まれの地方国公立の文系大学生である。

専攻は日本近現代文学

卒論のテーマは、早逝のSF作家・伊藤計劃

作品は、虐殺器官』、『ハーモニー』をメインに据えたうえで、「The Indefference Engine」をはじめとする短編数編や、円城塔との共著『屍者の帝国』も扱うつもりである。

ちなみに(我が大学では)基本的に卒論に扱う作品は1作品で、短篇1つや詩1つというのもざらである。

それに対して筆者の扱おうとしている作品数は、長編2+1本、短編数本……。

そう、あまりにも無謀な挑戦であるといえる。

 

この日記は、そんな無謀にもほどがある卒論の制作過程(筆者がぼろぼろになっていく過程)を綴ったものである。

 

できるだけ毎日、数行でも書き綴りたい。

 

 

現状のまとめ

はじめに、現状を整理しておこう。

まず、(筆者の思う)文学系の卒論の進め方を紹介しておく。

 

①テーマ設定→伊藤計劃

②問の設定

③本文分析

④資料、先行論収集(継続して行う)

必要があれば②に戻る

⑤本論のプロット作成

⑥本論作成(プロットの文章化)

 

以上が大体の工程であろう。

 

これらの工程の中で、学問にとって最重要なのは、当然問の設定であり、それは文学においても間違いない。『イシュードリブン』で安宅氏も言っておられたように、あらゆる学徒は”まず問よりはじめよ”、である。

そして、立てた問に基づいて、分析的な視点でテキストを捌いていく。

この時点で問に対する答えが見えようが見えまいが、補助資料として先行論をあたっておくといいだろう。だいたいの場合、一度目に立てた問は、他の誰かが既に向き合っている。そうなれば、私たちは問を改めなければならない。

だが、それでいいのだ。その先行論にたいして、一度テキストを分析した目で向き合う。すると、納得できる部分とできない部分が浮かび上がるはずだ。先人たちと文章を介して意見を擦り合わせて、少しずつ、漠然としていた問が鋭利になっていく

 

この工程を繰り返して、問に対する答えと、テキスト内に散らばる”証拠”、テキスト外の補強資料をそろえることができたら、いよいよ調理開始である。

序・破・旧・シンというある程度のテンプレートに沿って、本論をイメージしながら、プロットを作成する。ちなみに筆者はものすごく緻密にプロットをつくります。

そして、料理が完成したら、あとは盛り付けだ。体裁に細心の注意を払いながら、本論を完成させる。

 

余談だが、文学研究をする上では、先達の歩んだ道をしっかりとさらったうえで、それらを発展させるということが必要不可欠だ。そのため、某偉い人は文学研究を「先行研究集めばかりやっている」と揶揄してたとか。おっしゃる通りであります。

 

さて、すこし卒論作成の過程の紹介が長くなってしまったが、筆者の話に引き戻そう。

 

筆者は現在、②~④をいったりきたりしているところである。

というのも、扱う作品が多いせいで、

a.各作品ごとの論点・分析

b.「伊藤計劃」の論点・分析

を多層的に行っているため細かい修正が絶えないのだ。

それでも、現状『虐殺器官』、『ハーモニー』の個別の分析にはひと段落がついており、その他の短編と『屍者の帝国』を残すのみである。

そして、「伊藤計劃」の論点は、かなり硬めに定まっているので、作品の分析をしながら肉付けをしているところである。

 

今後の課題

本日の日記の最後に、これからやるべきことをリストアップしておこう。

 

まずはどの角度から本文を書いていくのかの構想をつくる必要がある。

料理でたとえれば、じゃがいもと肉と人参と玉ねぎを、にくじゃがにするかかカレーにするかシチューにするかを選ぶ、ということだ。

これが(現在の筆者にとって)問の設定(というよりいくつかある候補からの選択)である。

 

また、それと並行して、先行論の収集、まとめを続けていく。

 

そして、文学史を少し学びたい。また、911同時多発テロの時代背景や、選ばれた舞台の背景をまとめていくなど、本論とは絡まない下ごしらえの勉強を、この夏休みのうちに終わらせたい。

 

全体の”計劃”は、以下の通りだ。

9月、10月→下ごしらえの勉強を終わらせる、本文の分析、最終問設定

11月→プロット

12月→発表があるので本論清書

1月→提出

 

それでは、また明日。