高橋優『ReLOVE&RePEACE』感想①(「あいのうた」、「STAND BY ME!!」、「HIGH FIVE」)
10月9日(日)
日曜の昼間(11時)。
今からこれ書いて、今日は少々おでかけ。
それまでちょっと卒論の資料をまとめてようかな。
『リラリピ』の感想
#1「あいのうた」
まず一曲目。アコギを激しくかき鳴らす音から始まり、最初、拍子はうまくつかめない。すぐに声が入って、まさしく「リアルタイム・シンガーソングライター」な歌詞。
Aメロは8小節、一拍に4音、二拍で8音の超絶密な言葉たちで、コロナ禍の「いま・ここ」を歌う。ぎゅうぎゅうの楽譜を想像すると、なんか意味ありげじゃない?
Bメロは4小節。最後の小節で初めてバンドが追加されて、一小節ブレイクを挟むので、サビがくるか!と思ったら……、
まさかの再びAメロ!さっきはなかったバンドの心拍のような深いキックの音。
歌詞の烈しさもあってか、ガンガンあがってしまう……!
再度Bメロ。静かなアルペジオと、丁寧な歌声――こんどこそ、サビがくる!
ぐいーっと引き上げるようなバンドサウンド。裏拍のサビに合わせて、音の密度が駆け上がる。譜割だけでのってしまうような、素晴らしい楽曲。
そして、コーラス。アニソンのような、ゴシック調のコーラスが入った楽曲って、高橋優の中じゃかなり珍しいんじゃないか? めちゃくちゃいい。
超絶技巧や人間離れしたハイトーンがあるわけじゃない、いや、そうした「わかりやすい」技術がないからこそ、歌のうまさが際立つ…!
そもそも「歌う」とは「うったう(訴ふ)」、つまり”何かを誰かに伝えること”という意味を語源として持つという。特に、どうにもならない現実に対して、それでもあらがおうとする人間の切実な想いを、神に伝えようと叫ぶことを、「うったう」と呼んだそうだ。叫びに節がつき、それが「歌」となる。高橋優の「歌」は根源的な意味での「うた」であると思う。
と、ここまで、基本的にはメロディーとリズムに注目して述べてきた。
ここから、真骨頂の歌詞を見ていこう。まずはこちら。
”例えば 大切な人が 目の前で殺されたら
神に祈るとか嘘でしょ? 僕なら怒り狂うだろう
正義の話じゃない 真実を見つめていたい”
「いま・ここ」の残酷で凄惨なさま。理想を描くためには現実に根差さなければ説得力がかけてしまう。だから、高橋優の詞には力があるのだと思う。メジャーデビューシングルの「素晴らしき日常」から歌い続けてきたものの結晶だ。
そしてこちら。
孤独に追いやられた友達の声を
打ち明けるべき人にすらなれていなかった自分のことを
誰より許せないからこそ 目の前にいるあなたを
ほんの少し笑顔にできる光を探しているよ
そんな凄惨な「いま・ここ」を見つめて、残酷な現実に怒り狂って、それでもなお再び愛と平和を、笑顔を、歌にするのだ。
(余談、作り手自身の背景を歌詞に投影したくなってしまうのは文学の立場からすればあまり好まれない作法なのだが、直前に引用した箇所には、ついつい深読みをしたくなってしまう。)
そしてまた技の部分だが、これだけ詰め込まれた歌詞をしながら、一度聴くだけですっと頭に入ってくるのが、高橋優の譜割の技だと思う。歌手によっては「メロディーを先に作ってるな」とか、「この歌詞どうしても入れたかったんだな」という具合に、どれだけ良いものでも制作過程が透ける場合があるのだが(それが悪いというのではなく)、高橋優の場合はマジでわからない。おそらく歌詞だと思うけど、いったいどうやって曲を作ってるんだろう。どの言葉も無理なく収まっているのが、本当に気持ちいい。
最後にタイトル、「あいのうた」。愛をうたふ。哀をうたふ。”I”をうたふ。ひらがなだからこそ、いろいろと解釈できるあたりも、非常に好き。
#2「STAND BY ME!!」
さて、一曲目が鬼ながくなったが、二曲目はシンプルに楽しい曲。
「Mr.Complex Man」や「白米の味」みたいなロックサウンドで、ライブでのコールアンドレスポンスが楽しみ…!
ギターがリフレインを奏でる中で、Aメロ頭みたいにメロディーと絡み合うのが最高に気持ちいい。
コミカルな中に皮肉の利いた歌詞、それを際立たせる歌い方、サイコーです。
#3「HIGH FIVE」
シングルの三曲目。
最近読んでるヒロアカ(ゼブラックで無料開放!)を重ねてしまってて、めちゃくちゃ来る曲。
こういう曲は、歌詞のあたたかさが際立つよね。もう一回、#1「あいのうた」と同じことをいうけれど、歌詞が自然に入ってくる譜割が凄まじくうまい…。これあと何回いうんだろうか。
蛇行しながら残る足跡に
救われて歩き出す人がいる
素敵すぎる。汚くてもいい、それでも前に。いつかその旅路が誰かの希望になる。少年ジャンプだぜ…、プルス・ウルトラ!
#4…の前に。
熱くなってたら、時間が来てしまいました….
今回は3曲だけになっちゃった。
「HIGH FIVE」『ヒロアカ』の接続については、また今度書こうかな。ヒロアカのネタバレを含んでしまうけど…。
次回、時間のある時に『リラリピ』感想パート2書きます。では~。
スピーカーを通して握手!
6 否定的態度を受けまくった話
10月5日(水)
そういえば、昨日(#5)で描いたルーベンスさんは、伊藤計劃さんも絶賛していましたね。
飲み会があった
三人でなんだけれど、ちょっとした飲み会がありました。酒が入ってきて、なんでか筆者の話に突っかかってくる先輩。否定的態度。今日はそんなことがあって、実はまだ高橋優のアルバムが聞けていない…!明日ゆっくり聞きます。
翻って、自分を見てみると、どうだろうか。否定的態度を、というか、スイッチが入ると、割と人の意見の穴を見付けようとしている癖がある……気がした。
先日、バイト帰りに、あんまり得意じゃない人と同じ電車で帰るということがあった。その人は、なんというか、思慮が浅い言葉遣いというか、あまり「適切でない」言葉で物事を形容しようとするタイプの人。
その日、筆者のスイッチが入ったのが、Vtuberの話。顔出しをしていないのがズルい、だから嫌いという、額面通りの批判をしていました。それ自体は別にスルー出来たし、「言ってらあ」くらいに聞いていられたんだけど、問題はその後。
「世に出る予定じゃない奴が出てきて、なんなん?って思わない?」
筆者、スイッチオン。
「世に出る予定」ってなんや、と。
そもそも、見てもいないやつ――食わず嫌いのやつ――が、内面や実情の部分を批判しようとしている時点でお門違いも甚だしい(だからこそ筆者も何も言えない)のだけれど、それ以上に、金をかけて努力をしている一つのコンテンツを、「世に出る予定」とかいう言葉で形容されたのが、なんとなく許せなかった。
で、今日。筆者は、彼と同じ過ちを犯してしまいました。不用意な言葉で、大好きな小説のキャラクターを形容してしまって、それをとがめられた。失敗した、と思ったのだけれど、あまりにも否定されるので、なんでか跳ね返してしまった。
先輩の言っていたことは間違いではないんだけど、正解でもなかった。筆者の言葉が間違っていたことは事実なのに、その正解じゃない部分が気になって、素直に受け入れられなかったのが、なんというか自分のプライドみたいなものが見えてすごく反省しました。
そして、否定的な態度というのは取るべきでないと思った。いや、悪いのは否定的な態度というより、否定の仕方が問題なんだと思う。
頭ごなしな否定、否定するための否定は、そして否定に反発するための反発は、本当によくない。
どれだけムカついても、それが自分や家族のことでないのなら、多分スルーしたほうがいいんだな、と思いました。
屍者の帝国
卒論の進捗を少々。
本日は、『屍者の帝国』のテキストの解体作業をやっていました。
11月の第二週に発表があるので、それにむけて改めて。
明日こそ高橋優のアルバムのレビューを書きたいな。
今日は反省した。では~
5 おひさしぶりの
10月4日(火)
お久しぶりのはてな。めちゃくちゃさぼってしまった。
ここからまたちまちまと書いていきましょう!!
卒論のはなし
今週から大学の後期がスタート。今日、ゼミがありました。
やっぱり人って、なにかゴールがみえたり締め切りが明確に見えたりしたほうが、エンジンはかかりやすいみたい。
先生に、なんどか予定について聞いてたんだけど、提出しか教えてくれなかったのが結構きつかった。
今回ゼミのなかで、より明確に、いつ、何を発表するのかがわかったので、ある程度期間のみとおしがたった。
頑張って知識を溜め込んできて、正直進捗という進捗は報告できないんだけど、ここから一気に回収していきたい。
例えるならば、ここまでが挫折・葛藤・修行パート。ここからが、伏線回収と勝利パート。
最近気になっていること
最近気になっていることでも書いておこうかなと思います。
じつは、ルーベンスにはまってる。というか、もとは「堕天使」「失楽園」モチーフの作品をちょっと調べていたんだけど、ルーベンスの絵、まじでかっこいい。肉体の迫力?理想化されたプロポーションみたいなものが、結構「俺のイデア」に近いのかなと思った。もう一回いうと、ルーベンスの絵まじでかっこいい。おすすめです。
また絵画で、「メメント・モリ」っていうサイトを見てます。ダークな、ゴシックな雰囲気の西洋絵画を、いろんなテーマでまとめて紹介しているサイト。結構面白いです。
まだ読んでいないんだけど、ピースの又吉直樹さんの『人間』、文庫版を買いました。第一文はすごく「わかる」感覚。これから読み進めるのが楽しみだ。
また本で、星野智幸さんの『焔』を買いました。新潮文庫。なんというか、(『人間』は関係ないけど)最近は奇想ものが好き。めっちゃおもろい。
奇想ものにはまってるのには明確な理由があって、サラ・ピンスカーの『いずれすべては海のなかに』が面白かったから。個人的には「そしてわれらは暗闇の中」が好きかなあ。あと表紙がいい。水彩というか、パステルカラーの装丁で、鑑賞が頭のなかで広がっていく感じ、とても良しです。
9月末を持って、三人組のガールズバンドのthe peggiesが活動休止。予告されてたことだったけれど、改めてガツンと来るなあと。バンドそのものというより曲が好きだから、確かに北澤ゆうほが好きってことにはなってしまうんだけど、なんか違うんだよな。安全地帯と玉置浩二が違う、みたいな。復活を期待。
音楽でもう一つ。10月5日(明日!)、高橋優のアルバムがでます。ライブ、ファンクラブの最速応募で無事当選しました。武道館ツーデイズは結局当選してお金払ったけどコロナ怖くていかなかったから、今回はいくぞ!秋田。
で、アルバムは初回限定を3パターン予約しているんだけど、現在なんとレグザのプレーヤー(レコーダー?)がテレビに映らない…。なにが起こってるんだ。一応、ランプが点灯してるからちゃんと録画をしていることになっていて、電源もつけられるし駆動音もする。つまり問題は本体ではなく「映像を映す」という点にあるよう。アルバムの特典を見るためにも、はやく直さねば~。
やっぱ溜めると長くなっちゃうな。
また明日、アルバムの感想になるとおもうけど、書きます!では~
4
9月11日
9月9日
9月9日は、古代中国からのウワサでは、すごく縁起のいい日らしい。
昨日は月がめっちゃ綺麗でした。筆者はバイト帰りで、一人で月を見ておりましたが。
さて、卒論の進捗だが、なんと構想がめためたに進んで…おりません!
が、若干は進んでいる。
まず、「虐殺」と「ハーモニー」の接続をどうするか(どう関連付けるか)について、ある程度方針が見えてきた。
基本は今までやってきた、人物を軸に物語世界・構造を論じていく方法を転用して、共通点/相違点について論じて行こうと思う。その際の具体的な論点や方針についても形ができてきた。
まだやれていないことは、プロット作り(本文引用や試論)!
最近思うことは、すべてを論じようとしてもだめなんだ、ということ。
ゼミの中で、まるで考慮していないみたいに言われるのは非常に屈辱的だけれど、だからといって自分の論に必要のない事実を無理くり論に入れてもだめだ。
論の要旨をブレさせることに価値はない。だったら、書くべきこと・書きたいこと・やりたいことをそれぞれの軸で試論してみて、それを混ぜるという今までのプロット作りを信じようと思う。
わかっていてもできないことは多いよね。
3 おもろうて やがて悲しき 鵜舟かな
8/29
「おもろうて やがて悲しき…」
最近は小説よりも詩歌が熱い。
というのも、先日の動物園にいった件以降どことはない寂しさがあるからだ。
例えば、芭蕉の句にこんな歌がある。
おもろうて やがて悲しき 鵜舟かな
「おもしろくて、だからこそ悲しい、ああ鵜舟よ」。直訳すればこういうこと。「おもしろくて、だからこそ悲しい」とはどういうことか。これは、「鵜舟」を他のことと代替してみればわかりやすい。
おもろうて やがて悲しき 花火かな
賑やかな夏祭りはとても楽しい。クライマックスとして花火が打ちあがる。楽しさの最高潮にあるはずのそのさなかに、ふと、祭りの後のひとりの部屋が思い浮かび、そこにある空虚に圧倒される――。
ここで、現代のシンガー・MOROHAの「革命」を見てみよう。
そういやさ 飲み会の帰り道、突如やってくるあの虚しさ……、あれなんだろう
ね? あれやばくね?…… 胸、痛くね……?
これもまた、「おもろうて やがて悲しき 飲み会や」と言い換えることができる。
現代人が抱えるこの悲しさは、一言で言えばハレとケとの落差によるものだ。
当然だが、いくら現実が充実していても、ハレがあればケは物足りなくなる。しかし、その落差には違いがあるだろう。我々は肥えた世界に生き、充実しているはずの「当たり前」のレベルの高さから、簡単には満足できないケに生きているのだ。
現代のシンガー、高橋優の「leftovers」にこんな歌詞がある。
「腹減ってないけど 食べようと思えば食べれる」とか言いながらブランチ
この状況のぜいたくさを意識する日本人は、多分そんなに多くないのではないか。餓死寸前で食い悩んでいる人間は、世界を見ればたくさんいる。しかも、朝食でも昼食でも夕食でもない、娯楽としての食事=ブランチ。たった一行の詩に、それだけの意味を込めることができるのだ。
現代の飽和状態から脱することが、肥大化する「おもろうて やがて悲しき」の感情を抑え込む術になるのかもしれないと、先日から思っていた。
だがふと、こんなことも思う――はじめから友人などいなければよかったのかも、と。阿良々木暦ではないが、この「おもろうて やがて悲しき」を思うとき、まさに人間強度の脆弱さを感じるのだ。
このように考えてゆくと、きっと「おもろうて やがて悲しき」の感情からは、人間は逃れられないのだろうと思う。つまり、飽和状態から抜け出すために節制をすることはケへの不満足感をあおることになるし、逆に満足であるためにハレ状態を維持しようとすると、こんどはぜいたくな価値基準がハレをハレであると認識しなくなる。
だから我々は、人生を歩むうえで、どうしても悲観主義的な考え方を成してしまうのかもしれない。
そして、そんな悲観が、ハレとケの間に生まれた断絶が、文学をはじめとする諸芸術を生み出したのだろう。
おもろうて やがて悲しき 東口
これはamazarashiの歌の題名だが、以上のことを踏まえると、どんな活動をして、どんな楽しみを見出しても、――たとえそれが「東口」というケの中であっても――どこかい悲しさを感じながら生きていくことになるということを伝えているのかもしれない。
2 動物園へいったぞ
8/25(木)
今日は卒論進んでないけどちょっとだけ。
動物園へいった
今日は、高校の友人たちと動物園へいってきたぞ。
雨予報だったが降らず、涼しくて動物園日和だった!
まず、よかったのは、山羊とのふれあい。めちゃくちゃぬくもってて、しかも人懐っこくて良かった。猫カフェってこんなかんじなのかも、と。
で、プレーリードッグ。めちゃくちゃ可愛かった…!ケツがぷりぷりで半端ないぞ…
レッサーパンダは、三匹がとてとて走り回ってて可愛かった。
想像を超えて良かったのはこのあたりかなあ。残りは想像に違わず良かった。
一方カバは筋肉質かと思いきや意外とぶよぶよで、想像以上にきもかった。目の前でうんこするな。
動物園の後はボウリングへ。
実は、大学4年生21歳男性の筆者は、人生初のボウリング。
これがめちゃくちゃたのしかった!!
なんと、人生史上の第一投がストライク…!!こりゃきもちー。
友人がうまくて、ストライクスペア出しまくりで、スコアはビリばっかりだったけど、筆者もなんかいけそうな食らいつき方だったから楽しかった。
スコア100を超えられなかったのが、逆に次へのモチベーションになっている。
そして今、政令指定都市から大学のある僻地の部屋へと帰りつきて、いまここにある茫漠に圧倒されている。ここで一首。あはれ祭りのあと孤独飲み下す。そう、私は今酒を飲んでポエミーな気分である。
書いてたら日付が変わってしまったが、とにかく今日は楽しかった…。
明日からまた、がんばって生きて行こうと思う。
では、また明日!
1 卒論制作日記を書いてみる
8.24(水)
本格的に卒論を書かねばならないが、どうしてもやる気が出ない……。
……せや!日記書いたろ!
我が身にEngineを宿さねば
ということで、卒論へのモチベのキープのために、はてなで”卒論制作日記”なるものを書いてみることにする。
筆者は、2000年生まれの地方国公立の文系大学生である。
専攻は日本近現代文学。
卒論のテーマは、早逝のSF作家・伊藤計劃。
作品は、『虐殺器官』、『ハーモニー』をメインに据えたうえで、「The Indefference Engine」をはじめとする短編数編や、円城塔との共著『屍者の帝国』も扱うつもりである。
ちなみに(我が大学では)基本的に卒論に扱う作品は1作品で、短篇1つや詩1つというのもざらである。
それに対して筆者の扱おうとしている作品数は、長編2+1本、短編数本……。
そう、あまりにも無謀な挑戦であるといえる。
この日記は、そんな無謀にもほどがある卒論の制作過程(筆者がぼろぼろになっていく過程)を綴ったものである。
できるだけ毎日、数行でも書き綴りたい。
現状のまとめ
はじめに、現状を整理しておこう。
まず、(筆者の思う)文学系の卒論の進め方を紹介しておく。
①テーマ設定→伊藤計劃
②問の設定
③本文分析
④資料、先行論収集(継続して行う)
必要があれば②に戻る
⑤本論のプロット作成
⑥本論作成(プロットの文章化)
以上が大体の工程であろう。
これらの工程の中で、学問にとって最重要なのは、当然問の設定であり、それは文学においても間違いない。『イシュードリブン』で安宅氏も言っておられたように、あらゆる学徒は”まず問よりはじめよ”、である。
そして、立てた問に基づいて、分析的な視点でテキストを捌いていく。
この時点で問に対する答えが見えようが見えまいが、補助資料として先行論をあたっておくといいだろう。だいたいの場合、一度目に立てた問は、他の誰かが既に向き合っている。そうなれば、私たちは問を改めなければならない。
だが、それでいいのだ。その先行論にたいして、一度テキストを分析した目で向き合う。すると、納得できる部分とできない部分が浮かび上がるはずだ。先人たちと文章を介して意見を擦り合わせて、少しずつ、漠然としていた問が鋭利になっていく。
この工程を繰り返して、問に対する答えと、テキスト内に散らばる”証拠”、テキスト外の補強資料をそろえることができたら、いよいよ調理開始である。
序・破・旧・シンというある程度のテンプレートに沿って、本論をイメージしながら、プロットを作成する。ちなみに筆者はものすごく緻密にプロットをつくります。
そして、料理が完成したら、あとは盛り付けだ。体裁に細心の注意を払いながら、本論を完成させる。
余談だが、文学研究をする上では、先達の歩んだ道をしっかりとさらったうえで、それらを発展させるということが必要不可欠だ。そのため、某偉い人は文学研究を「先行研究集めばかりやっている」と揶揄してたとか。おっしゃる通りであります。
さて、すこし卒論作成の過程の紹介が長くなってしまったが、筆者の話に引き戻そう。
筆者は現在、②~④をいったりきたりしているところである。
というのも、扱う作品が多いせいで、
a.各作品ごとの論点・分析
b.「伊藤計劃」の論点・分析
を多層的に行っているため細かい修正が絶えないのだ。
それでも、現状『虐殺器官』、『ハーモニー』の個別の分析にはひと段落がついており、その他の短編と『屍者の帝国』を残すのみである。
そして、「伊藤計劃」の論点は、かなり硬めに定まっているので、作品の分析をしながら肉付けをしているところである。
今後の課題
本日の日記の最後に、これからやるべきことをリストアップしておこう。
まずはどの角度から本文を書いていくのかの構想をつくる必要がある。
料理でたとえれば、じゃがいもと肉と人参と玉ねぎを、にくじゃがにするかかカレーにするかシチューにするかを選ぶ、ということだ。
これが(現在の筆者にとって)問の設定(というよりいくつかある候補からの選択)である。
また、それと並行して、先行論の収集、まとめを続けていく。
そして、文学史を少し学びたい。また、911同時多発テロの時代背景や、選ばれた舞台の背景をまとめていくなど、本論とは絡まない下ごしらえの勉強を、この夏休みのうちに終わらせたい。
全体の”計劃”は、以下の通りだ。
9月、10月→下ごしらえの勉強を終わらせる、本文の分析、最終問設定
11月→プロット
12月→発表があるので本論清書
1月→提出
それでは、また明日。